どうして易は当たるのか
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「どうして易は当たるのか」について考えてみましょう。
古来より、易占は「当たるも八卦、当たらぬも八卦」といわれてきました。
これは、「占いは必ず当たるものではないから、当たらなくても気にすることはない」と
いう、どちらかといえば、易占いに対して「当たるわけがない」という否定的なニュアンス を含んだ言葉です。
しかし、このページのタイトルは「どうして易は当たるのか」とあります。
それでは一体この差はどこから生まれるのでしょうか。
そもそも易は「心の兆し」を占うものであって、「運の良し悪し」を占うものではありませ
ん。
「心の兆し」とは、易占をご依頼される方の置かれた立場、状況ごとの、「その場におけ
る心の持ち方」というものです。
ですから先ず「心の兆し」ありきで、その「心の持ち方」によって、それが「吉・凶」、「幸
運・不運」につながっていくのです。
易によって示される吉凶は変えることのできない宿命として与えられたものではなく、
卦にかけた意味から、置かれた立場・状況ごとに、従うべき法則を示すことによって、運 命開拓(開運のことですね…)の努力を促すことが真の目的なのです。
人間の努力をぬきにした運命などあろうはずはありません。
占いの結果が出たとしても、その卦の解釈は「心の持ち方」によって何通りにも分かれ
るわけであり、その中での解釈では、そのときの自分(易占をご依頼された方)の心の持 ち方に即した解釈がもっとも当たる可能性を秘めた運勢となるわけです。
通常、神主が占う場合は変爻・之卦(将来的な運勢のこと)まで占います。しかし、この
とき最も重視するのは、「易占をご依頼された方の心の持ち様」なのですね。
したがいまして、占いの結果が良くても、悪くてもがっかりすることはなく(良いにこした
ことはありませんが…)、結果の意味をよく考えて行動することが重要となってきます。
「心の兆し」に意味をもたせて「行動」へと結びつける。これが易の真髄ともいえるもの
です。
かのナポレオン・ヒル博士がおっしゃられるように「思考は現実化する」のです。そして
これこそが、「どうして易は当たるのか」の答えでもあるわけです。
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